散文的 駄文

就職活動というものがあって、それは主に大学三年生とか四年生が大学卒業後あるいは高校生あるいは中学生かも知れないが、学校やそれに準じるものを卒業した際にする行為であると考えている。

 

自分は大学の4年生時にそれを経験した。

 

そのときに感じたことは、「自分は何も考えてないのかも知れない」ということ。

 

それは今も変わらなくて、例えば思考の深い人と話をしたりすると、それは明確如実に浮き彫りになる。

逆にあまりなにも考えてない人の中にいたら、まったくもって、例えば就職活動という機会がなければ、感じることはないだろう。

 

文章を書き出すことで、自分の考えは整理され、明確になる。

周りに考えている人が少ない環境下でしっかりと思考するためには、頭でぐだぐだ考えるのではなく、このような駄文でも構わないから、何かしらの形で表現すべきだと思う。

 

仕事について、考えてみたい。

 

よくある話で、なんのために仕事をするのかという問いがあるかと思う。

  • 楽しいから:これは非常にすばらしいであろう
  • やりたい仕事だから:素晴らしすぎる
  • お金を稼ぎたいから:確かに稼ぎたい
  • モテたい:魅力つけたいです
  • 家族のため:自分は二の次か
  • 他に夢があるから:夢ではまだ稼げないのかな
  • 自分に向いているから:どうやって見つけたんでしょう
  • お客様のためになっているから:本望ですね

 

すべて前向き素晴らしい理由。しかしこれでは思考が浅いでしょうか。

深い思考とは一体。。

 

  • 楽しいから:私はこれまでの人生で難題に挑戦するときに楽しさを感じました。今の仕事は難題が多いですが、それを達成したときに、楽しさ・やりがいを感じているのです。私が仕事をしている理由はそれです。

これ見てどう思ったか。個人的にはへえ、程度。たとえばこれに具体例をつけたりして、説得力や現実感を出すのが志望動機の書き方でしょうか。

しかし、これでは、定型的なやり方ではいまいち”思考”をしている感じがない。

周りを意識した変な自意識が出てきているだけで、何も気にしない自分は何も感じられない。

本当に楽しいときはなにか、遊びをしているときなのかはたまたセックスをしているときなのか、友達とあほな遊びをしているときなのか、本当に楽しいときはいつどこで何をしているときか。

 

好きなこと:読書、映画鑑賞、ゴルフ、サッカー、デート、パチンコ、ギャンブル、競馬、犬の散歩、食事、睡眠

 

欲の追求、これがすべてなのかも知れない。

自分の中の欲求を探る、とことん探る、それの解消法が仕事に向けば、いいのかもしれないですね。